ニブロール 「ロミオ OR ジュリエット」@世田谷パブリックシアター
Monday, January 21st, 2008当日、会場のある三軒茶屋につくまで、シアタートラム(小劇場のほう)だと思い込んでいたのですが、パブリックシアター(大劇場)での上演でした。
さすが10周年。出世というか、評価が追いついたというか。(まぁ、偉そうな言い方ですみません。)
会場には、海外のダンスカンパニーと思われる団体や、チェルフィッチュ主宰の岡田さんの姿など。
ステージ。高い天井から、格子状の半透明スクリーンをいくつか吊るし、レイヤーを形成。
映像は、レイヤー化されたスクリーンに奥行きをもって投影。さらに舞台・床にも投影され。床から壁まで一続きに映像が流れ、舞台を包む構造。
スピーカー配置も変わっていて、途中客席中央から音が出てくる場面もありました。
さすが一流のディレクター集団。舞台美術だけでもお金を払う価値があります。もちろん衣装も面白い。
さて、本作のテーマは、「9・11」後の「境界」ということ( 参考)ニブロール・朝日新聞記事 )で、言われてみると、ラインやグリッドを意識した舞台演出だったと思います。
ただ、やはりニブロールを観ていて思うのは、ダンサー(=現代を生きる僕ら)の「不自由な身体」を見せ付けられているなぁということです。
ニブロールのダンスは、たとえば「水と油」のようなメンバーの動きがピッタリ合う気持ちよさや、「珍しいキノコ舞踊団」のような、優雅で伸びやかな美しさもありません。
ダンサーは、意図的にバタバタ・バラバラ・ジタバタと踊ります。手足は、キレイに伸びないし。ジャンプも高く飛べないし。声をあげても音楽に掻き消される。
それが、すごくパキッと完成された(=デザインされた)雄弁な映像・音楽の上で表現されると、本当ジタバタ・モガイテイル感が浮かび上がってきます。
そしてそれが、現代の僕らなんだと気付かされるのです。
世の中、情報も多くて、どうしたらよいかもすぐわからない感じだけど、まずモガくことから始めよう。そんなメッセージを受け取りました。
終演後のポストトーク 「10周年を世田谷パブリックシアターで迎えて」で、初めてニブロールメンバーを拝見しました。
本来は、裏方ディレクター集団なので、こういうカタチで表に出てくるのは珍しく、こーいう人が舞台をつくっているんだと好奇心。
それぞれの分野で第一線を歩むメンバーが、こうやって1年に1回ずつくらい集ってモノをつくって表現しつづけられているというのが単純にうらやましい。
「境界線」を引くことで失われるモノを拾い上げていきたいというメッセージが印象に残りました。
